陶工と粘土の話 Part2
先週の祈祷会の聖書箇所はエレミヤ書19章でした。預言者エレミヤが神さまから「象徴行為をせよ」との指示を受けた場面です。
「陶工の所へ行って壺を買い、それを偶像礼拝に明け暮れている長老や祭司たちの面前で粉々に砕きなさい」という指示でした。粘土がろくろ台に乗っている間は陶工は何度でも造り直すことが出来ますが乾燥させて焼いて陶器になれば、それが役に立たない場合、砕いて捨てるしかないのです。砕かれた壺はバビロンに包囲され危急存亡の状況下でなお偶像を拝む宗教家の姿でした。
現代の私たちは砕かれた壺から何を聞くのか。自分に都合のよい聖書の解釈、神さまを自分に従わせる信仰、そうではなくいつもろくろ台の上の粘土でありたい、と学びました。その後組祈祷した方のお祈りの一言一言に、いつも粘土の心でみ言葉と向き合っておられる様子が滲み出ていて心が洗われた気がしました。感謝な夜でした。